気のせいかもと思い続けた半年
40代前半女性/福岡県福岡市在住
私は、自分を疑うのが下手だと思う。正確には、自分の感じ方を、自分で否定するのが、習慣になっている。「気にしすぎ」「考えすぎ」「気のせい」。小さい頃から何度も、自分の中の違和感に、自分でそう言い聞かせてきた。 そのクセが、半年分の時間を、するりと連れていった。
※この記事は、実際によくある相談パターンをもとにしたケーススタディです。
違和感は、確かにあった
最初の違和感は、半年前の春ごろだった。夫が、夜のスマホ操作を、自分の枕元に向きを変えて行うようになった。今までは画面を私から見える方向に置いていたのに、ある夜から、画面が壁を向くようになった。
その時の私は、こう思った。「セキュリティ意識が高くなったのかな」。気のせい。一回目。
夏の終わりごろ、夫の出張が増えた。出張先のホテルが、なぜか毎回、自宅から比較的近い県内だった。私は思った。「会社が経費を抑える方針になったのかも」。気のせい。二回目。
秋に入って、休日の予定が曖昧になった。「同期と」「ちょっと先輩と」「急に呼ばれて」。それまで、夫はわりと予定を詳しく話すタイプだったのに、いつの間にか語尾が霞むようになっていた。気のせい。三回目。
友人の言葉で、はじめて見えた
冬の入り口、久しぶりに会った大学時代の友人と、ランチの席で何気なくこの半年の出来事を話した。深刻な相談のつもりではなかった。ただ、なんとなく聞いてほしかっただけ。
友人は、最後まで黙って聞いて、それから一言だけ言った。「それ、ぜんぶ並べてみたら、たぶん気のせいじゃないよ」
その一言で、何かのスイッチが入った。家に帰って、ノートを開いて、半年分の出来事を時系列で書き出してみた。枕元のスマホ、近距離の出張、曖昧な休日、香水の変化、急なジム通い、夜中の振動音。ひとつひとつは"気のせい"でも、並ぶと"気のせい"とは呼べない形に変わった。
私は、その夜、自分が半年間ずっと、目の前で起きていることに、自分で蓋をしていたのだと知った。
動き出してみて、気づいたこと
翌週から、私は記録を取りはじめた。帰宅時間、外出先、説明、所感。書きはじめてみると、ひとつ大きな問題に気づいた。
過去のことは、思っているほど思い出せない。
半年前のあの日、夫が何時に帰ってきたか。その日のレシートはどこにあるか。何月何日にどこに出張したか。記憶のなかでは「だいたい」しか残っていなくて、書き出そうとすると、半分以上が空白になる。LINEの履歴も、現金の動きも、ETCの履歴も、半年前のものは多くがすでに上書きされたり、消えたりしている。
いまから取れる材料は、いまからの行動だけだった。それ以外の選択肢は、どこにも残っていなかった。
なぜ私は、半年も蓋をできたのか
ここで自分への問いを書いておきたい。半年も違和感を放置できた理由は、性格の弱さではなかった、と振り返る。
ひとつめは、「家族を疑うのは悪いこと」という古い考え方。疑うことが裏切りに似た行為のように感じて、自分の感覚に対しても罪悪感を持ってしまった。ふたつめは、「気にしすぎな自分でいたくない」という見栄。妻が、もしくは母親として、ささいなことに動揺しない自分でいたかった。みっつめは、「向き合うことの怖さ」。違和感を認めた瞬間、自分が動かなければいけなくなる。動くエネルギーが、当時の私にはなかった。
これらは、誰の中にもある気持ちだと思う。だからこそ、半年放置するのは特別な人ではなく、ふつうに毎日を頑張っている人ほど起きやすい——というのが、私が半年かけて学んだことだ。
失われたものを、具体的に書き出してみる
その夜、ノートにこう書いた。「半年前にメモを始めていたら、いま手元にあったかもしれない情報」。
半年分の帰宅時間の記録
出張ごとの宿泊先と日程の控え
曖昧だった予定の累積回数
そのときの本人の言葉のニュアンス
過去の領収書の地名分布
書きながら、何度もため息が出た。これらは、特別な能力がなくても残せた情報だった。スマホのメモアプリに一行ずつ書いていれば、それで十分だった。「自分の感じ方を否定しない」という、ただそれだけの選択ができていれば、半年分のページが手元にあったはずだった。
それでも、過ぎた時間は戻ってこない。ため息の続きで、もうひとつ、こう書いた。「これからの一日は、未来の自分への手紙になる」。
「自分の感じ方を否定しない」だけでよかった
半年前の自分に対して何かひと言だけ伝えられるとしたら、私は「もっと頑張れ」とは言わない。そんな大げさな話ではない。言いたいのは、もっとずっと小さなこと——「自分の感じ方を、自分で否定しないでほしい」ということだ。
「気のせいかも」と感じた瞬間に、メモアプリを開いて一行書く。その一行が、半年後の自分にとって決定的な手がかりになる、なんて大げさな期待はいらない。ただ、書いた事実そのものが、「あの夜、私はこの違和感を確かに感じていた」という証言として残る。その証言が積み重なると、自分の感覚を信じる根拠ができる。半年前の私には、その根拠がなかった。だから、何度も「気のせい」で塗り替えて、ページを白いままにしてしまった。
書くという行為は、決めつけではない。自分の感覚に、敬意を払うことだ。半年経って、ようやくその意味が腑に落ちた。
"気のせい"と感じたら、それが書き始めの合図
もし、いま「気のせいかな」と思った瞬間が一日の中にあるなら、その日付と内容を、メモアプリに一行だけ残してみてほしい。書くだけで決めつけるわけじゃない。あとで読み返したときに、自分の感覚が一貫していたのか、揺らいでいたのかが、見えるようにしておくだけでいい。
そして、もしその一行が、半年後に十行、二十行と増えていることに気づいたら、そのときがちょうど、次の一手を考えるタイミングだ。気のせいに、蓋をしないでほしい。蓋をしないことは、決めつけることでもなく、騒ぎ立てることでもない。ただ、自分の感じ方を、自分で否定しないでいる、というだけのことだ。
そして、その一行は、必ずあとで自分を救う。半年後の自分が、今日の自分に「あの夜、書き始めてくれてありがとう」と言える日が、きっと来る。記録は、いちばん静かで、いちばん優しい味方だ。
Note
本記事は一般的な情報整理を目的としたもので、法的判断や個別の助言を行うものではありません。 違法な確認方法は避け、判断に迷う場合は弁護士・探偵事務所・消費生活相談窓口などの専門窓口へ確認してください。
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